大震災6年、地域コミュニティーの充実を


 死者1万5893人、行方不明者2553人(3月10日現在、警察庁調べ)を出した東日本大震災から6年が経(た)った。この間、被災地の交通インフラが再整備され、地元企業・事業所の再建や宅地造成も進んでいる。

 しかし人口減少や地域コミュニティーの未形成が問題となっており、新たな支援などによって着実に復興を進展させる必要がある。

基幹インフラ復旧は順調

 国土交通省によると、震災で大きな被害を受けた国道、高速道路など基幹インフラについては、おおむね復旧が完了した。引き続き工程表に基づく鉄道の完全復旧を望みたい。

 公的資金や金融措置制度などによる被災企業の復興も一定の成果を上げている。東北経済産業局の昨年10月の調べでは、売り上げを震災前の水準以上に戻した企業は全体の約45%に上る。業種は建設業が8割、当初販路が閉ざされた水産・食品加工業は約3割となっている。

 宮城県南三陸町では「南三陸さんさん商店街」が、常設店舗として再オープンした。被災者や観光客ら大勢の人が訪れ、店主らから「感無量だ」と喜びの声が上がった。また、同県女川町でも一昨年3月、JR女川駅が新設され、同年12月には漁港近くの商店街がオープンするなど町並みが整ってきている。

 だが、震災前の町の活気には遠い。女川町の場合、震災前1万人余の人口のうち、約1000人が震災の犠牲になった。その後、被災者たちが移住し、人口は約6300人(平成27年国勢調査)、住宅が建ち現在約6700人となった。

 しかし移住者は仙台や石巻などで、既に仕事に就いているとみられる。高台に住宅ができたとしても戻って来るかどうかについて悲観的な見方も強い。住宅、交通、社会資本は1万人以上を想定しているが、人が住まなければ本当の町のにぎわいにはつながらない。南三陸町など、沿岸被災地の多くが同様の悩みを抱えている。

 一方、震災を教訓にした防災対策について各自治体が熟慮している様子が伝わってくる。当初から、一時的に避難するタワーやビルの建設あるいは指定の必要性が指摘されたが、現在、宮城県沿岸15市町のうち7市町で計74カ所に及んでいる。

 半面、震災前にあった施設が被災した東松島市や南三陸町などでは、復旧・復興工事が続く中、導入の活発な議論は始まったばかりだ。

 防潮堤についても、各地で建設の進捗(しんちょく)にばらつきがある。女川町では防潮堤を建設しないことをいち早く決め、その代わりに津波が来た時は高台に逃げることを徹底させることにしている。改めて大津波で被害を受けた住民たちのショックの大きさを見る思いだが、地域の事情や地形などを考慮し、適切な防災対策を講じることが望まれる。

風評被害の克服急げ

 一方、大震災によって発生した東京電力福島第1原発事故の影響で、今なお8万人近い住民が避難生活を送っている。帰還に向けた生活環境の整備や、産業再生、風評被害の克服など課題は多く速やかな解決を目指したい。