インターネット上の記事の信頼性が高いと…
インターネット上の記事の信頼性が高いと思ったことはない。大隈重信を大隅重信と表記し、信じ難いことだが、「おおすみ」と振り仮名が振ってある記事を目にしたことがある。「隈」と「隅」は似ているが別の文字だ。ネットを使い始めた直後の話で「面倒な世界に参入してしまった!?」と困惑した記憶がある。
IT大手DeNAのサイトで不正確な記事の掲載が常態化していたと知った時も「ありうること」と思った。ネット記事一般の「情報の正確さ」への関心の低さは根深いからだ。
恣意(しい)的な引用や根拠なき断定などは、文章を書く上でやってはならないことだが、ネットではお構いなしだ。「情報を垂れ流すメディア」との印象が終始付きまとっている。
匿名記事も多く、編集が行われた形跡も少ない。文章の緩みも多く、大「隅」重信のごとき誤字も、誤字が多いと言われるテレビの字幕以上に目に付く。
ここ20年ほどで急激に発達した新興勢力であるネットが、メディアとして成熟していないのは当たり前のことだ。「誰もが自由に発信できる」というネットの性格上、他人によるチェック(編集)が行き届きにくいのも確かだ。
新聞や出版物といった「物」としての固定性がなく、情報という「こと」の世界のネットでは責任の自覚がされにくい。ネットメディアそのものは今後消えることはないだろうから、長期的な視点に立った問い直しが求められよう。