日本の近代文学史上、第一の地位を占めるのは…
日本の近代文学史上、第一の地位を占めるのは夏目漱石だ。森鴎外の存在も大きいが、漱石には及ばない。志賀直哉、芥川龍之介が読まれなくなり、谷崎潤一郎が躍進した事実はあるが、漱石は国民的作家として今でも多くの読者を集めている。その漱石が亡くなったのは大正5(1916)年のきょう。死因は胃潰瘍だった。
奇癖の多い人だった。息子の夏目伸六は、衆人環視の中、父親からステッキで激しく殴られた記憶を記している(『父・夏目漱石』)。神社内の射的場で射的をやりたいとせがんだのに、いざその場になると尻込みした息子に対して漱石が怒りを爆発させた。
かと思うと、朝4時半ごろ目を覚まして家族を叩き起こした、との妻の証言もある(夏目鏡子『漱石の思い出』)。子供に対する愛情は極めて薄かった。
当然のことだ、と文芸評論家の三浦雅士氏は言う。子供として愛されたことのない漱石が、子供を理解することなぞできるわけがない、と(『出生の秘密』)。
生まれてすぐ里子に出された、という過酷な体験が漱石の奥深いところに渦巻いている。「生まれてこなければよかった」という思いがそこから生まれる。そんな人間が家族を愛するのは困難だろう。
約10年という短期間に『吾輩は猫である』から『明暗』に至る傑作群を残した。没後ちょうど1世紀後、厳し過ぎる生涯が前提となって、貴重な文学的遺産がわれわれの前に残されている。