近代以前、戦場で使われる武器は刀と鉄砲が…
近代以前、戦場で使われる武器は刀と鉄砲が主だった。ところが、刀には武士の強い関心が集まったが、鉄砲はなぜか軽視されることが多かった。
2人の社会学者(橋爪大三郎、大澤真幸の両氏)による日本史についての対談本『げんきな日本論』(講談社現代新書)では、刀と鉄砲の扱われ方の違いに関して考察している。
日本では、鉄砲の使い手がカッコイイと見なされることはあまりない。が、刀の場合、宮本武蔵がそうであるように、使い手にとって威信の最大の根拠となる。結果、刀には不思議なカリスマ性が伴う一方、鉄砲にはそれがない。理由は、刀が個人を際立たせるのに対して、鉄砲は集団に埋没してしまうからではないか、というのが対談の一応の結論だ。
武器としての有効性の問題ではない。武蔵と10人の鉄砲隊が戦えば鉄砲隊が勝つだろうが、勝っても少しも尊敬されない。
日本では、武士と鉄砲の相性がよくなかった、という歴史的事実がある。刀や弓は20年もかけて習得するものだが、鉄砲ははるかに短い期間で可能だ。鉄砲は安直な武器、という思いが武士にはある。
加えて、鉄砲伝来のおよそ100年後に江戸幕府が成立した。戦争がなくなってしまったので、鉄砲の重要性を示す機会が失われた。「刀が人格を表す」という漠然たる観念は、そんな歴史の中で成立したようだ。歴史において武器がどう扱われるか、という論点に迫っていて興味深い。