「むさし野の冬めき来る木立かな」(高木晴子)…


 「むさし野の冬めき来る木立かな」(高木晴子)。武蔵野というと、国木田独歩の「武蔵野」が思い出される。独歩は明治29年秋の初めから翌年春の初めまで東京・渋谷村に住み、武蔵野を散策して秋の深まる自然の美しさを描写した。

 11月4日の日記には「天高く気澄む、夕暮に独り風吹く野に立てば、天外の富士近く、国境をめぐる連山地平線上に黒し。星光一点、暮色ようやく到り、林影ようやく遠し」とある。当時はよく富士山が見えたようだ。

 昔の武蔵野の姿は今ではほとんどないが、疎林などに面影をしのぶことはできる。しかし、武蔵野の自然の美しさに目を留めるようになったのは、明治以降である。日本古来の王朝的な美意識では、秋といえば紅葉であって落葉した野ではない。

 独歩が武蔵野の美しさに目覚めたのは、ロシアの文豪ツルゲーネフの小説によるという。「自分がかかる落葉林の趣きを解するに至ったのはこの微妙な叙景の筆の力が多い。これはロシアの景でしかも林は樺の木で、武蔵野の林は楢の木、植物帯からいうとはなはだ異なっているが落葉林の趣は同じことである」。

 日本人は自然と共生し愛してきたというけれども、風景に対する嗜好は海外文化の影響も小さくない。

 最近、めっきりと寒さが身に染みるようになった。枯れ葉が道に落ちているのを見ると、秋の深まり、初冬の到来を実感する。「冬めく」という季語が腑に落ちるのである。