作家の野上彌生子は昭和5年ごろの日記に…
作家の野上彌生子は昭和5年ごろの日記に「千人の凡庸な読者よりも一人のエリットに読まれることをのぞむ」と記したという。岩橋邦枝著『評伝 野上彌生子』(新潮社)にそう書かれている。
「エリット」とはエリートのことで、21世紀に生きる人々はイヤミな言葉と受け止める場合が多い。が、作家の立場からすれば、自分の表現したかったことをしっかり理解してくれる読者を望むのは自然な話だ。
経済的利益を全く無視する作家は今時いないが、「自分は経済的利益のみを目的として書いている」と言い切る作家もいない。一見イヤミな野上の90年近く前の記述も、まんざら間違っていたわけではない。
あらゆる文学者は、経済的理由以外の何かがあって作家を続けているはずだ。書き手も読み手も、書かれた作品を通して互いに精神の交流を望んでいることは、昭和初年代であろうと21世紀の今であろうと変わりはない。
半面、あらゆる文学作品は、単行本であれ雑誌であれ、商品の形で流通する。野上にしても、作品が一冊も売れなかったとすれば、作家としてやっていくことは困難だったはずだ。内容的価値と経済的価値は切り離すことができない。
それでも20世紀後半以降、経済が芸術を飲み込みつつあることは、歴史的事実として認めないわけにはいかない。「エリートのための文学」という言葉が死語と化してしまったことは確かだ。