日本の封建社会を知る上で、世界の学者たちが…


 日本の封建社会を知る上で、世界の学者たちが注目してきた文書の一つに、歴史学者・朝河貫一によって英訳された『入来文書』がある。米国で1929年に出版され、矢吹晋氏による日本語訳が出されたのは2005年。

 この文書が発見された鹿児島県薩摩郡入来町(現・薩摩川内市)に、作家の故吉村昭さんが訪ねたことがあった。「不思議な町」と題するエッセーで「なにか由緒ある遺跡を歩いているような思いであった」と記した。

 入来家の墓所を訪ね、武家屋敷の門を入り、入来家の主人と話をし、一族の歴史にも耳を傾けた。が、吉村さんは『入来文書』についても、朝河についても言及していない。知らなかったのかもしれない。

 それだけ朝河が母国では無名だったということなのだろう。彼は米国で日本に関する文献の整備をし、日本研究の基礎を築いた人物。西洋と日本との間で比較封建制度研究の道を開いた歴史学者でもある。

 今、福島県二本松市の霞ヶ城公園で「二本松の菊人形」が開催中だが、最初のコーナーを飾っている人物の一人が、この朝河だ。今年のテーマは「あっぱれ!ニッポン!世界に誇れる日本人」で、百数十体の人形が登場。

 朝河は二本松生まれで「郷土の偉人」として紹介されている。「1941年、日米開戦を避けるため、米国大統領ルーズベルトから昭和天皇宛てに親書を送るよう働きかけ、その草案を作りました」と解説文にあった。