「山は暮れて野は黄昏の芒かな」(蕪村)…


 「山は暮れて野は黄昏の芒かな」(蕪村)。秋の草といえば、ススキを思い出す。思い出すというのは、東京で生活するようになってからは、ススキを見掛けた記憶があまりないからである。

 春夏秋冬を通じて、故郷ではもちろん、東京でも珍しくないほど咲いているのが春のタンポポ。空き地だけではなく、道路の片隅などでも見られる。生命力が強いからだろう。

 東北の地方都市にいた頃は、ススキはどこにでもあった。秋になると、辺り一面がススキということも珍しくはなかった。白い穂を風に揺らしているのを見ると、秋の到来と冬の近いことを実感したものである。

 もちろん都会でも、気温の低下や水の感触、秋の虫の声、青空が透き通るようになった色合い、雲などで秋の到来を感じることはある。落葉樹の紅葉などもあるが、それは秋も本格的となった、もう少し先の話。

 昔の人は、草花や虫だけではなく、旬の食べ物を味わうことで季節の変わり目を感じてきた。現代では、人工栽培で季節に関係なくほとんど何でも手に入れることができる。技術の進歩は季節を感じる自然のサインを知る機会を失わせている。

 幼少時代、ススキはどこかわびしい感じを受けるので、あまり好ましい印象を持たなかった。青々とした野原が白く変わっていくので、老化のように感じたせいかもしれない。だが、今振り返ってみると、ずいぶん贅沢な時代を生きていたと改めて感じている。