経済も昇り傾向だった7年前の決定時には予想も…
経済も昇り傾向だった7年前の決定時には予想もできなかった不況下、汚職疑惑で大統領不在という政情不安の中で開幕したリオデジャネイロ五輪。治安への懸念は予想通りで不安をかき立て、準備の遅れに加え、実際の大会運営でも輸送の混乱、空席の目立つ会場など問題が噴出した。
それでも幕が下りて残るのは、熱い戦いを繰り広げたアスリートたちの強さ、速さ、あるいは美しさ、巧さに魅せられ感動した快い印象だけ。大過なく終わってみれば、南米初の五輪は独自色を出し、成果もそれなりに。
<何とかしてしまう>ラテンのノリのよさと明るさで、平和の祭典を盛り上げるパワーを示したと言っていい。「難民代表」で選手が参加したのも初。
国際オリンピック委員会(IОC)のバッハ会長は、その独自性を「貧しさや難民という境遇、国境を超えた選手たちの活躍や友情が、スポーツを超えた感動を生んだ」と総括。「GDP(国内総生産)の上位国でなくても開催できることを示せた」とも評価した。
さて、バトンを引き継いで4年後の東京を見据える日本。大会成功のカギを握るのは何よりも選手の活躍である。今回、日本は史上最多41個のメダルを取ったが、獲得競技数は前回より減った。
カヌーやテニスでメダルを取った一方、ボクシング、アーチェリー、フェンシング、サッカー、バレーボールはゼロに。有望競技の裾野を広げる選手強化が急務だ。