スポーツの中には戦争から生まれたものが…


 スポーツの中には戦争から生まれたものがあると言われる。一例がマラソン。紀元前490年、マラトンの戦いでアテネがペルシア(イラン)の大軍を破った。伝令がアテネまで約40㌔の道を走って勝利を伝えた。直後兵士は息絶えたという。それを踏まえて1924年、42・195㌔をマラソンの距離と確定した。

 現在開かれているリオデジャネイロ五輪のような国際的なスポーツ大会は、平時における代理戦争の場とも指摘される。半面、戦争とスポーツには違いもある。

 戦争では不意打ちがありうる。本能寺の変などがそうだ。対してスポーツは、明確な日程の下に行われる。突発的な事情で中止になることはあっても、予告なしにいきなりゲームが始まることはない。スポーツは「予告された戦争」だ。

 芸術の場合、「あの部分はまずいが、この部分はよい」という評価の仕方も可能だ。が、引き分けも含めて勝敗がはっきりしているスポーツの場合、一つ一つの良し悪(あ)しを超えて、勝敗が最も重要なこととして記憶され、記録される。

 スポーツは、参加するための障壁が低いのも特徴だ。美術や音楽は、文学に比べれば国や文化による壁は低いが、それでもスポーツには及ばない。文学は言語の壁が高過ぎて、翻訳という手段を通さないと外国文学に接することは困難だ。

 普遍性はスポーツにとって最大の強み……。などと考えているうちに、リオ五輪は終盤を迎える。