東京湾はかつて海洋生物の生産性が高いことでは…
東京湾はかつて海洋生物の生産性が高いことでは世界でも有数の海域だった。その中でも最も生産性が高く、多種多様な魚貝が棲息(せいそく)していたのは品川沖と羽田沖だった。
双方とも、今はもう海ではなく町や空港になってしまったが、東京湾の懐は深く、広い。それらの漁場は帰ってこないかもしれないが、第2の羽田になるような条件を持った所は少なくない。
認定NPO法人ふるさと東京を考える実行委員会理事長の関口雄三さんは、1977年に東京都内湾の海水浴の復活に向けた行動を開始した。「東京湾を再生させることは、東京湾が豊かになり、漁業が盛んになることである」という信念からだ。
大変な労力を注入し、2011年には都港湾局と協働、都東部葛西出身の関口さんの地元、葛西海浜公園西なぎさに水質浄化施設を完成させた。翌年わずか2日間だが、同公園で海水浴を行えるまでに。
これをきっかけに東京都の「遊泳禁止」看板の文言が、「許可なき遊泳禁止」に書き換えられた。都機関のような大きなバックが動けばしめたもの、16年度は33日間の海水浴実施を予定し、17年度からは同公園の海水浴が定着するよう、都や都公園協会と力を合わせ頑張っている。
まさに、雨垂れ岩を穿(うが)つ、である。地域興しの対象というと、概して地方の過疎地などに目を向けがちである。しかし目と鼻の先に、その典型例の一つがあることを知って、不明を恥じる次第である。