戦後、柳田国男(1962年没)と家永三郎(2002年没)…
戦後、柳田国男(1962年没)と家永三郎(2002年没)の間で「日本歴史閑談」と題した対談が行われた。歴史を変えるのは「傑出した思想」と考える家永に対し、柳田は「無名の生活人(柳田の用語では「常民」)の集合的な知恵」と反論した。
歴史上、織田信長のような傑出した人物も現れているのだから、家永が間違っているとは言えない。それでも「7対3」ぐらいで柳田の見方の方が妥当だ。
左翼的な学者の家永が、大衆よりも傑出したエリートを重く見ているのが面白い。逆に柳田はそれほどにも大衆を重視したのだが、彼が実際に出会った大衆にどう対したかと考えると、いささか心もとない。
ある小出版社の社長が柳田に出版企画を持ちかけた。だがその企画は、いつの間にか柳田の手を経て、別の出版社から本になって刊行された(司馬遼太郎著『街道をゆく』36巻)。
柳田が意図的に出版企画を売り飛ばして利益を得た、とは到底考えられない。柳田は、小出版社を経営する人間の苦労が全く分からなかったのだろう。
柳田の非倫理的行為は、彼自身が傑出した人物で、大衆とは隔絶した立場に属することを少しも疑わなかったことが前提となっている。柳田一人の話ではない。半世紀前のエリートたちの言動も思考回路も「柳田風」だった。40年ほど前まで「大衆と知識人」という対比の図式が疑われることなく通用していたのは歴史的事実だ。