熊本県を襲った震度7の地震の揺れ、衝撃の…


 熊本県を襲った震度7の地震の揺れ、衝撃の大きさが被災者の声や様々な映像で伝わってきている。押しつぶされた民家、脱線した新幹線、亀裂が走り陥没した高速道路。中でも、日本を代表する名城の一つで、熊本のシンボルである熊本城の無残な姿には、地元だけでなく、多くの国民が胸を痛めているに違いない。

 戦国時代の猛将で築城の名人でもあった加藤清正によって築かれた熊本城は、堅牢にして優美な石垣が何より大きな特徴だ。地面付近は勾配が緩く、上にいくに従いきつくなり、ほとんど絶壁に近くなる。武者返し、清正流石組みなどと呼ばれる。

 清正が、近江から率いてきた石工集団、穴太衆によって造られたものという。かつてこの城を訪れた時も、この石垣の立派さをガイドさんが誇らしげに説明していたことを思い出す。

 その石垣も一部が崩れた。西南戦争の時、火災に遭って建物は焼け落ちてもしぶとく残ったその石垣がだ。

 今回の地震は、余震が非常に多発するのが大きな特徴と言われているが、最初の地震では残っていた天守の鯱も、しつこい余震で落ちてしまった。

 この熊本城の修復には、相当の費用と時間を要するであろうことは、素人にも予想がつく。しかし、天下の名城は、地元の人々だけでなく、全国の歴史ファンや城を愛する民間の力も得て、必ずその雄姿を復活させるに違いない。熊本城の修復が地震からの立ち直りのシンボルとなる。