水上勉に『飢餓海峡』(1962年)という名作が…


 水上勉に『飢餓海峡』(1962年)という名作がある。65年に内田吐夢監督によって映画化されたが、原作以上との評価だ。

 飢餓海峡とは津軽海峡のこと。21世紀の今、飢餓海峡などと呼べば差別語と言われるだろう。だが、原作が扱った1950年代前半には、こうした表現でもおかしくない現実があった。小説でも映画でも、それが反映している。

 映画『飢餓海峡』と同じ年、北島三郎さんが歌う「函館の女(ひと)」が大ヒットした。その5年後、青函連絡船で青森から函館に着いた時、「はるばる来たぜ函館へ」と繰り返し流れていたのを覚えている。東京(上野)から列車でやってくれば、本当に「はるばる」なのだ。

 この海峡を歌った作品では、石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」(77年)もよく知られている。「連絡船に乗り……」の部分がひときわ印象に残る。津軽海峡は日本で一番有名な海峡かもしれない。

 青函連絡船(88年廃止)の所要時間は3時間50分。ちょっとした船旅だった。先月末に開通した北海道新幹線が、東京から「4時間の壁」を破れなかったなどと言っているのがウソのようだ。

 連絡船を使わず鉄道でこの海峡を渡るには、トンネルか鉄橋が必要だ。青函トンネルの着工は64年。連絡線が沈没して1000人を超える死者を出した洞爺丸事故の10年後だ。『飢餓海峡』では、この大惨事が重要な背景となっている。事故から60年以上の時間が経つ。