「しかし、そこは禁欲しないといけません」…


 「しかし、そこは禁欲しないといけません」――。13日に亡くなった古代史研究の泰斗、京都大学名誉教授の上田正昭さんにインタビューした時の言葉である。桓武天皇と百済との関係について「こういうことも言えるのではないか」との気流子の質問への答えだ。

 上田名誉教授は、古代史の研究に東アジアの視点を取り入れ、名著『帰化人』(中公新書)で、日本古代史における渡来人の大きな働きを浮かび上がらせた。一方、国学院大学専門部で折口信夫に師事するなど民俗学の視点も取り入れた。視野の広さと奥行きが上田古代史学の特徴であり魅力だった。

 しかし、その根底には厳しい文献批判による実証史学の方法論が頑として存在していた。それを象徴する言葉が「禁欲」である。

 歴史学者も人間だから、自分の考えや説に都合のいいように史料を解釈したくなる誘惑には駆られない、と言ったら嘘になるだろう。インタビューで上田名誉教授の口からこんな言葉がふっと出てきたのは、常に歴史学者としての自分への戒めとして言い聞かせていたからに違いない。

 アカデミックな研究においても誘惑がある。ましてや政治やイデオロギーが絡んでくるともっと露骨で、ブレーキの効かなくなる危険性がある。

 この禁欲を貫けるかどうかが、歴史の真実に肉薄できるか否かの分かれ目になるのではないか。それはジャーナリズムの世界にも通じるものである。