亡くなる3年前のこと、三島由紀夫は、他人の…


 亡くなる3年前のこと、三島由紀夫は、他人の評価なぞどうでもいいような境地に至りたい、という意味の発言をしている。三島ならずとも、誰もが思うことだ。そうなれば楽だろう。

 その三島に対し、14歳年長の批評家中村光夫は「時代の風というものは実に大事なんだよ」と教え諭すように指摘する(『人間と文学』講談社文芸文庫)。「時代の風」とは、世間の評価のことだ。

 不易流行という。俳諧について芭蕉が語った有名な言葉だが、「不易(永遠)+流行」といった場合、つい不易の方が重要、と考えてしまいがちだ。三島も不易の境地にあこがれたのだが、流行も案外重要ですよ、と中村は言っている。不易を目指し過ぎると、不易であることもできなくなる、ということを言いたかったのではないか、とも思えてくる。

 三島は45歳の若さで自殺した。近代文学の歴史は自殺者の歴史とも言われるが、三島の死は社会全体に衝撃を与えた。近代文学史上最も壮大な自殺だった。

 「時代の風」とか「世間の評判」とかいった場合、何やら軽薄で移ろいやすい印象がある。だが、案外バカにできないのは、結局我々は、現在を生きるようにしかつくられていないからなのだろう。

 よくよく考えてみれば、不易といえども流行の積み重ねだ。予備校講師の「今でしょ!」は、この世の今を生きていく他ない人間たちの真実の一端を物語っているとも思われるのだ。