「××を映画にしてやるから、契約書のサインを…


 「××を映画にしてやるから、契約書のサインを原作者からもらってくれ」との電話が、その作家の担当編集者のところにかかって来た。電話の相手は、黒澤明監督の代理の者(息子)だった。

 高橋一清著『芥川賞・直木賞をとる!』(河出文庫、近刊)に載っているエピソードだ。電話を受けた編集者本人がこの本の著者だから、黒澤監督側の物言いの雰囲気は、おおよそは伝わってくる。「映画にしてやる」という話法からは「黒澤による映画化だったら、二つ返事で飛びついてくるのが当たり前」と考えていた様子が見てとれる。

 その後原作者も同意し、映画化は進行することとなった。が、契約書には「未来永劫この作品は、黒澤以外は映画化しない」との項目があった。

 「世界の黒澤の申し入れに従わない者などそれまでいなかったのだ!?」などと思いながらも、編集者は「未来永劫」を「500年間」に訂正させた。大した違いはないが、ここはその奮闘を評価すべきだろう。

 後に編集者が実際に対面した監督本人は、意外に低姿勢だったという。が、完成した映画は原作とは似ても似つかぬものだった。なお、原作使用料の金額はこの本には明記されていない。

 映画界という業界全体がこんなものなのか、黒澤監督が特別だったのか。いずれにしても、通常の人間関係を遠く超えた話であったことは確かだ。黒澤監督が亡くなったのは、1998年のことだ。