「筆耕の机の塵や日脚伸ぶ」(野崎方道)…
「筆耕の机の塵や日脚伸ぶ」(野崎方道)。冬の日差しが、やわらかく感じるこの頃。季語の中では、冒頭に挙げた句の「日脚伸ぶ」が、それにふさわしい。
稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』によれば「冬至のころは、昼が最も短く、夜が最も長い。それから毎日少しずつ日脚が伸びてゆく。『一日に畳の目一つ』というが、一月も半ばを過ぎたころには、日が長くなったとはっきり感じられるのである」とある。
この言葉が印象的なのは、冬の寒さが背景にあるためにひとしお日差しのありがたみが感じられるからだろう。春の兆しとまではいかないが、確実にその足音が近づいているということ。擬人化された表現が、季節の変化に敏感な日本人らしい。
この冬は平年より暖かいと言われていたのに、先日には東京にも大雪が降って首都圏の交通網が打撃を受けた。異常気象という言葉を聞くと、まだ先の話だが、今年の夏はどうなるか気にかかる。
「日脚伸ぶ」で思い出されるのは、小紙「世日俳壇」の選者をされていた俳人の故・吉本忠之氏のこと。美しい日本語を残したいと言われ、その代表的な一つとして「日脚伸ぶ」を挙げていた。
その吉本氏は、2007年の1月23日に亡くなられた。あまりにも突然の訃報だったので、しばらく呆然としたことを覚えている。ちょうど「日脚伸ぶ」ころだったので、この季語を見るたびに在りし日の笑顔が目に浮かんでくる。