「路地抜けて行く忙しさも十二月」(高浜年尾)…


 「路地抜けて行く忙しさも十二月」(高浜年尾)。一年の終わりの12月を迎えると、他の月とは違った印象がある。あわただしいようでいて、ちょっと寂しい気分。それだけ年の終わりは特別なのだろう。

 この背景には、稲作を中心に過ごしてきた文化がある。日本では、古代から近現代に至るまで、命を支える食物はコメであり、その種まきから収穫まで生活の中心を占めてきた。

 秋から冬にかけては、翌年の春を待ち望む時期である。一年を人生に例えれば、誕生から成長、そして死を迎えるプロセスを思わせるものがある。一方、正月は死からの再生でもある。1年ごとに生と死のサイクルを稲作を通して感じるからこそ、年の終わりに寂しさを感じるのではないか。

 そうした感性にまで染み込んだ自然との共生が、日本人の民族性、風俗、行事などを生んできたと言えよう。その点では、最近ひそかに注目されている旧暦による生活も、あながち懐古趣味だけではないだろう。

 効率や合理主義、便利さを追求した西洋文明の影響への疑問やストレスの多い生活への反省がある。自然との絆を失いつつある危機感が、ゆったりした時間を感じさせてくれる旧暦への郷愁を呼び覚ますのである。

 年賀ハガキも書かなければならない時期も近い。長年会っていない知人友人のことを思いながら、さて何を書こうと思い悩むのも、この時期の恒例の行事である。