「櫛の歯をこぼれてかなし木の葉髪」(高浜虚子)…


 「櫛の歯をこぼれてかなし木の葉髪」(高浜虚子)。俳句の季語に「木の葉髪」がある。ちょうど11月頃の季語である。「髪」の字が入っているので、髪の毛に関することだろうと思ってはいたが、長い間意味を知らなかった。

 稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』には「ようやく冬めくころ、木々の葉が落ちるように、人間の毛髪が常よりは多く脱けるのをいう。櫛の歯についた毛髪が思わず多いのを見るのはわびしいものである」とある。要するに、秋の木の葉のように髪の毛が落ちることを意味しているのである。

 背景に、この時期は夏の暑さなどで髪が傷み抜け落ちやすくなっていることがあるのだろう。もっとも、抜けるのは秋とは限らない。この表現は秋の落葉に例えた比喩(ひゆ)であると考えた方がいいだろう。

 四季折々の自然とともに生きた日本人ならではの表現だが、今では俳句だけに使われているようである。ところで、気流子も高齢者と言われる年齢を迎え、最近とみに髪の毛が薄くなっていることに気付く。

 年齢とともに抜けるのは仕方がないと思っていたが、少しずつではなく、ある日突然、髪の毛が少なくなっていた。何事も原因がなければ結果は訪れない。

 日頃の手入れを怠っていたり、再生する髪の毛が減ったりしたためだろう。しかし、現在では元気な高齢者が多い。そのことを考えれば、気落ちする必要はないと改めて実感する。