慶応3(1867)年のきょう、坂本龍馬、…


 慶応3(1867)年のきょう、坂本龍馬、中岡慎太郎が京都で暗殺された。歴史学の上では、暗殺犯は京都見廻組で一致している。しかし、テレビ番組や小説家が「見廻組の犯行と言われるが、疑う向きも多い」「謎はなお残る」「確定したわけではない」などとして、犯人が特定されていないと言い続ける。その方が面白いからだ。

 龍馬暗殺については、黒幕が誰かの点では見解が分かれているようだ。薩摩藩黒幕説もあり、見廻組そのものが黒幕だ、との見方もある。

 最近刊行された山本博文著『歴史をつかむ技法』(新潮新書)によると、歴史学者の間では、多くの歴史的事件について、事実関係に関しては見解はほぼ一致している。歴史学では史料が根拠となるため、余計な空想や仮説が入り込む余地がないからだ。

 本能寺の変(1582年)の実行犯が明智光秀であるとして、黒幕は別にいたのではないか、ということが最近言われるようになった。だが、山本氏は、織田信長暗殺は光秀の単独犯行であって、黒幕自体が存在しない、と断定している。黒幕を示唆する史料が見つかっていないからだ。

 歴史学も科学である以上、一定の普遍性を持つ。山本氏のような歴史学者が史料を介して議論するのは当然のことだ。

 もちろん、純然たる虚構の物語として、ありもしない珍説を書いたり読んだりする権利が誰にでもあることは言うまでもない。