歌舞伎の人気俳優中村吉右衛門(初代)は…
歌舞伎の人気俳優中村吉右衛門(初代)は晩年、病気がちで好きな蕎麦(そば)を食べに行くことができなかった。そこで番頭に命じて、蕎麦を受け取りに行かせた。が、東京浅草の名店の主人は「持ち帰りはお断り」と言って番頭を追い返した。その後間もなく吉右衛門は亡くなった。昭和29年、享年68。
蕎麦屋の主人は、客が吉右衛門だったことは知っていたと思われる。21世紀の今であれば何とかしてやればいいとも思うが、主人とすればそうもいかなかったのだろう。
後日、吉右衛門の夫人が主人に出会った時、「吉右衛門はあんたに断られて、残念がって死にましたよ」と伝えた。さすがの主人も顔を上げることができず、以後吉右衛門の命日には、老主人自ら吉右衛門宅に出向いて仏前に蕎麦を供えたという。
以上は、内田栄一著『浅草寿司屋ばなし』(ちくま文庫)が伝える落語のような話だ。内田氏は有名鮨店の店主。鮨屋が語る蕎麦屋のエピソードだ。
内田氏自身も子供のころ、父親が病気のため店に出向いて天ぷら蕎麦を頼んだところ「蕎麦は出前なんかするものじゃない」と怒鳴られた経験がある。店主の頑固は筋金入りだ。
「客本位」が当然の当今だが、60年前にはこういう店主もいた。今や死語と化しつつある「純文学」という言葉が思い浮かぶ。吉右衛門には気の毒だったが、そうした歴史の流れの果てに「消費者中心主義」の今日があることもまた真実だ。