作家で文化勲章受章者の阿川弘之さんが亡く…
作家で文化勲章受章者の阿川弘之さんが亡くなった。94歳だった。昭和17年、海軍予備学生として海軍に入り、多くの戦友たちの死を見てきた体験が、後の作家活動と生涯を決定付けた。志賀直哉の衣鉢を継ぐ当代屈指の文章家でもあった。
昭和61年、代表作である海軍提督三部作の最後『井上成美』が上梓された時、横浜市の自宅でインタビューした。書斎兼応接間のような広い部屋に、長さ2メートル近くもある大きな戦艦大和の模型が置いてあった。
山本五十六、米内光政という他の2提督と比べやや堅物で、一見人間的には面白味の欠けた井上成美の魅力、持ち味を、マージャンのヤクに喩えて語っていたのが特に印象に残った。忘れ難い一時だった。
それから10年ほど後、たまたま阿川さん宅から遠くない所に暫く住むことになった。昼過ぎ頃、阿川さんが散歩しているのを見掛けたことがあった。ゆっくり散策するというのではなく、杖をつきながらもズック靴を履いて早足で歩いていた。
体力維持のための鍛錬という感じだったので、声をお掛けしたり、挨拶したりすることはしなかった。こういうところも、海軍での規律正しい生活を経験した名残なのかとも思った。
70年目の終戦記念日を前に、阿川さんは夏雲の彼方にいる戦友たちのもとへ旅立った。あとに続く世代には、あの時代の真実を伝えようと阿川さんが精魂を傾けて書き上げた、文学的香気高い作品群が遺された。