退潮が止まらない米国の新聞事情記事から。…


 退潮が止まらない米国の新聞事情記事から。「様々な分野で必要とされるニュースが供給されなくなり、懸念を呼ぶようになった。『ニュース砂漠』とか『取材空白』と呼ばれる」(朝日5月25日「米、埋まらぬ『ニュース空白』」)。

 記者が取材に来なくなった自治体の中には「幹部たちがお手盛りで給与を引き上げ、オバマ大統領を上回る高給を受け取っていた」(同)異変例も。報道機関の監視機能が弱まったためだ。

 収入全体の8割が広告収入という米新聞界。その広告収入が10年前の半分以下となり足元から揺らぐ。従業員を2200人から1000人減らしたダラス・モーニング・ニュース紙だが、取材記者は300人を維持した。

 発行人のジェームズ・モロニー氏によれば「『テレビ、ネットの記事と違った視点や分析で新聞記事の価値を出す』ため」(読売5日「メディア/米国の潮流<中>」)である。「メディア研究者のマーク・エッジ氏は、『米国の新聞は広告への依存から、日本のように購読料収入の割合を高めつつある』と分析」(同)する。

 翻って日本の新聞は。文藝春秋7月号「新聞エンマ帖」は住民投票で敗れた橋下徹大阪市長の去就まで抉らない先月18日朝刊各紙を例に手厳しく問う。

 「こんな時、やはり新聞は時代をとらえる力が落ちているんだなと感じる」「紙か電子かの前に、記事の中身がおろそかになっていないか」と。自戒して精進する他ない。