「大寺や庭一面の霜柱」(高浜虚子)。早朝の…


 「大寺や庭一面の霜柱」(高浜虚子)。早朝の道を歩いていて、空き地がキラキラと光っているのを見かけた。一面の枯れた草に霜柱が立っているためだ。懐かしい風景だった。

 少年時代は東北に住んでいたので、冬の通学路で土を持ち上げる霜柱を踏んで歩いたことを思い出す。底冷えのする冷気の中で、息も白く煙となりただようほど。よく手が霜焼けになった。

 雪も盛んに降って、白い道を歩いていて側溝に落ちかけたこともある。故郷では冬は雪が付き物だったが、東京ではあまり見ない。しかし最近は、成人の日や大学の試験日などに大雪が降ることがある。

 雪といえば、クリスマスが間近だ。このところクリスマス・ソングを聞くことが多いが、中でも山下達郎さんの「クリスマス・イブ」のメロディーは忘れられないものがある。しかし気流子は、ダークダックスが「雪の降る街を」を歌っていたのが特に印象に残っている。

 あの低音の歌声が北国の雪深い街の情景をほうふつとさせ、どこか懐かしい思いを誘い出すからだ。雪が積もって、あたり一面が白い原野となり、道なき道を歩くと、どこか知らない国に行ってしまうような心細さも感じたことを覚えている。

 霜柱は太陽が昇ると、その日差しですぐに溶けてしまう。雪よりもはかない自然現象である。しかし、都会ではこうした現象さえ、なかなかお目にかかれなくなったのが残念である。