建築家の故白井晟一さんには、建築を習得…
建築家の故白井晟一さんには、建築を習得するにも独自の学び方があって、一般の建築家が学校で学んでいくのとはまったく異なっていた。数寄屋建築をやるとなると大工、職人の技術まで自分のものにした。
とりわけ重視したのは目と手の修練で、家具や燭台など自分で集めてエッセンスを学び、手の修練として書道を欠かさなかった。ある時、必要あって学んだのが、手作りの豆腐についてだった。
美という観点で建築物を考えることはあっても、豆腐を前にしてそんなことを考えてみるのは初めて。豆腐には「刺戟する奇」がないからだ。そして生まれたのが「豆腐」(『無窓』)というエッセー。
豆腐をだれも芸術とは考えない。が、「秩序ある感性に陶冶され、正しい技法の習練を要する」ことが不可欠。それに徹して初めて「これ以外のものをゆるさない形と、色と、物理的性質に到達」する。
それは人間に奉仕する「用」の美なのだ。きょうは「豆腐の日」。柔らかく淡泊で、自己主張することもあまりない。夏は冷奴、冬は湯豆腐と、同じ食材が季語として夏も冬も用いられるのは豆腐ぐらい。
和洋中どれにも合う。米国では和食ブームとともに需要が増えている。健康に気を使う人が多くなり、スーパーでも一般に売られ、カフェやレストランでも豆腐を使った料理を提供するところが多くなった。さて、そろそろ肉豆腐がおいしくなる季節である。