「結婚したらどうだ」とは、私的な場で…
「結婚したらどうだ」とは、私的な場であっても言ってはならない、ということだろうか。東京都議会の女性議員が野次を浴びたことを受けての「僕だって言う、平場で」という都議の発言が問題となった。
いかなる場合であれ、「結婚したらどうだ」という発言が許されないとなると、親が娘に対してそのように言うことも許されない。男女平等である以上、息子にも親が結婚を勧めてはならない、という話になる。
逆に、「結婚なんかすべきではない」という否定形はどうか。これも、結婚に関して他人が口を出すのだからいけない、ということなのかどうか。
「結婚したらどうだ」と言われた娘が、その発言に同意した場合でも、その発言自体は非難されるべきなのか。ドラマや映画や小説といったフィクションの中でもいけないのか。
心の中で「結婚したらいいのに」と思うのもダメか。心の問題だから他人が確認することはできないのだが、心の中でそう思ってしまった人間は、そうした自分を責め続けなければならないのか。世の中全体が、寄ってたかって窮屈な社会をつくろうと躍起になっている。
半面、公共の電波を使って何百万人もの視聴者に向かって「ブス」と大声でののしることは許されている。「ブス」発言はよい、というこの区別・差別はどこからやってくるのか。女性差別の実質は問われぬまま「言葉の問題」だけが取り上げられるのは異様だ。