竹下登元首相は、訪れた政治家や事務次官らに…
竹下登元首相は、訪れた政治家や事務次官らに対して「Aの件はBのようだわね……」などと言うことがあった、という話を読んだことがある。それを耳にした者は、必ず誰かに「竹下さんは、Aについてこう言っていた」と話す。
間もなく、最初に伝えた相手とは別の者がAについて竹下氏に述べる。その時内容は当初に比べて微細に変化している。竹下氏は、そんな「伝言ゲーム」を楽しんでいた。
が、昨今問題となっている朝日新聞の原発事故をめぐる誤報は、一政治家の楽しみとは違った深刻さを含む。状況が混沌としている中で発生したコミュニケーションのズレを強引に説明しようとして生まれたものだからだ。
「撤退」か「退避」かといった用語も含めて、危険な事態が進行する中で起こったことについて後から説明する時、人は「物語」の誘惑にかられる。
「物語」の文脈に沿って発言するのは楽だし納得も得やすい。原発を推進する「政府・東電=悪」という新聞社の「物語」は、実際に事故が起こった際には説得力があった。
だが、何かを選択することは何かを切り捨てることでもある。都合のいいものだけを選択して、それ以外のものを排除すれば、特定の方向性を持った「物語」が生まれてしまう。もちろん、「物語」の誘惑はマスメディアだけではなく、取材を受ける側にも働く。何かについての言及が、誤報となる可能性は常にある。自戒する必要がある。