「桑の実の落ちてにじみぬ石の上」(佐藤漾人)…
「桑の実の落ちてにじみぬ石の上」(佐藤漾人)。気流子の幼少時代、夏になると田舎の母方の実家に泊まりに行き、野山で昆虫採集や川遊びなどをするのを楽しみとしていた。特に蛍狩りが印象的な思い出になっている。
満天の星空の中を蛍が飛び交うのは幻想的な光景だった。夢中になって蛍をウチワでたたき落としたり、ふわふわ浮かぶ光を追って走り回ったりした。危うく水田や小川に落ちかかったこともある。今やそんな光景は遠いものとなってしまった。
家の周囲にはキュウリやカボチャやネギなどの畑が広がっていた。キュウリは茎から直接もいで、井戸水で洗って食べたものだった。畑の周りには桑の木が群生していたことを覚えている。
桑の木は蚕を育てるためのもので、田舎の家の寝室の隣には丸形の蚕棚があり、蚕が桑の葉を食べる音がさざ波のように夜中聞こえていた。その咀嚼(そしゃく)音の中で寝ていると、別世界に行ったような気分になった。
また、桑の実の味が忘れられない。甘酸っぱい野性的な味は、ほかの果物にはない郷愁を誘った。大樹となった桑の木の下で、従兄弟と夢中になって食べたものである。桑の実はほとんど誰も食べない状態で、ハチやハエなどが群がっていた。
この蚕の繭から取れる生糸によって日本の近代化が支えられた。その絹産業の代表的な工場の富岡製糸場が、15日から始まる世界遺産委員会で正式に文化遺産に登録される見通しだ。