「悪意」という言葉には、特定の意図を持って…


 「悪意」という言葉には、特定の意図を持って他人に危害を加える、というイメージがある。小保方晴子さんのSTAP細胞に関する論文について先日、理化学研究所は再調査しないことを決め、不正行為があったとの認定が確定した。根拠となったのが「悪意」の存在だ。

 理研の言う「悪意」は、世間一般とは違って「意図的、故意」という意味だ。この定義が自然科学一般で行われているものかどうかは分からない。ただ、理研はそれに従って、論文の画像の切り貼りなどについて「悪意」があったと認定した。

 「不正」とされた小保方さん側は「悪意」はなかったと訴える。これは世間一般で言う「悪意」のことだ。存在しないデータや研究結果をつくり出したわけではないと主張している。

 「意図的」と言えばいいところを「悪意」と言ってしまうことの分かりにくさ。一方、世間で言う意味での「悪意」はありませんよ、と切り返す小保方さん側。両者の間の溝は深い。「悪意」をめぐって、専門家と世間一般の間に認識のズレがあることが混乱の原因だと言えよう。

 もちろん、「世間一般」という実体があるわけではない。科学者やプロスポーツ選手ほどには目立たないが、「普通のサラリーマン」と呼ばれる人々も、それぞれの分野での専門家だ。

 それでもなお、「悪意」という単語は、図らずも「専門家と世間一般」の微妙な関係をあぶり出しているようだ。