「軽ろやかに提げて薄暑の旅鞄」(高浜虚子)…


 「軽ろやかに提げて薄暑の旅鞄」(高浜虚子)。汗ばむような暑さが続いている。といっても、真夏の皮膚を刺すような暑さではないが、歩いていると肌にシャツがべたつく感じがする 。

 俳句では「薄暑」という季語で表現される。初夏の木々の緑も鮮やかさを増してきて、風がそのあたりを揺さぶると、さわやかさを覚える時季。風というと「風薫る」という表現を思い出すが、これはもう少し先の6月ごろの季語だ 。

 蒸し暑さを感じるために、クーラーや扇風機をつけている人も多いだろう。ただ、まだ本格的な暑さではないので、外出しても薄着をしていればしのげないほどではない。旅に出掛けるには絶好の季節でもある 。

 詩人の萩原朔太郎に、5月の朝の旅を詠んだ詩がある。「ふらんすへ行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し/せめては新しき背広をきて/きままなる旅にいでてみん」と始まる『純情小曲集』所収の「旅上」である 。

 この詩は教科書にも載っていたので、気流子もよく記憶している。語呂がいいせいか、暗唱しやすい詩でもある。しかも、旅に出るのに新しい背広を着て行くというのも、現在にはない感性を感じさせる 。

 朔太郎が生きた時代は、海外旅行がそれほど一般的だったわけではない。それこそ、なかなか手の届かないあこがれだった。「日本近代詩の父」と称される朔太郎は、昭和17(1942)年のきょう、亡くなっている。