具象画家の登竜門で、画壇の芥川賞とも言われ…
具象画家の登竜門で、画壇の芥川賞とも言われた安井賞が創設されたのは1957年。安井曾太郎の業績を顕彰し、現代美術を担う新人画家の発掘と育成を目的としていた。その第1回受賞者が「海辺」の作者、田中岑(たかし)さん 。
初期から最新作に至る作品を紹介する「いろいろ、そうそう―田中岑」展が今年9月から11月まで、川崎市市民ミュージアムで予定されているが、それを前に田中さんは先日、93歳で亡くなった 。
1939年、洋画家を志して入学したのは東京美術学校(現・東京芸大)。入学早々、観に行ったのが上野で開かれた独立展だ。会場で憧れていた独立美術協会会員の海老原喜之助に出会った 。
海老原は日大の講師になったばかりで、柳亮や滝口修造ら欧州から帰った美術家たちと新しい芸術運動を起こそうとしていた。田中さんは海老原に誘われ、その潮流に乗ろうと転校する 。
日大で油彩に関する最新の実技と理論を学んだ。44年、繰り上げ卒業で兵役に就くが、海老原から「飛んでくる弾が見えないようでは、絵描きにはなれない」と言われ、送り出されたという 。
戦後は春陽会会員として活躍。清浄な光がものを突き抜けてくるような画風が特徴だった。87年1月から90年3月まで、小紙の連載小説「比叡は萠える」(栗田勇作)で挿絵を担当。比叡山や琵琶湖の風景など、柔らかいタッチの絵で読者を楽しませてくれた。