東日本大震災の津波によって、多くの文化財が…


 東日本大震災の津波によって、多くの文化財が流失した。復元や整理などが行われているが、その被害は今なお大きな痛手となっている。

 3年がたって震災の記憶が風化しつつあると言われているが、記憶をよみがえらせる存在が、岩手県陸前高田市の高田松原跡地にある「奇跡の一本松」だ。幹に防腐処理などを施して元の場所に立てられた。その保存に際しての費用が多額だったために賛否があったことは記憶に新しい。

 この高田松原には、岩手県出身の歌人・石川啄木の歌碑も建てられていたが、津波によって流された。碑には「いのちなき砂のかなしさよ/さらさらと/握れば指のあひだより落つ」という歌が刻まれていた。

 啄木の歌碑は、これまで2度流出している。1960年のチリ地震の津波と東日本大震災によるもので、啄木の流浪に満ちた生涯を象徴するような出来事だ。2013年11月にその啄木の歌碑が関係者によって再建された。

 ただ元の場所ではなく、高田松原近くの旧「道の駅」前。刻まれた歌は、以前とは違って「頬につたふ/なみだのごはず/一握の砂を示しし人を忘れず」。これは「津波の犠牲者を忘れない」との思いを込めて、改めて啄木の歌集『一握の砂』から選ばれたものである。

 啄木は歌や詩、小説などで才能を発揮したが、借金苦と貧乏に悩まされ、明治45(1912)年のきょう、26歳の若さで亡くなっている。