【上昇気流】自然の活用と人間の眼力
化石燃料の石炭は、産業革命の蒸気機関による動力エネルギー源として200年以上重宝され、産業社会を支えてきた。石炭が人類から無上の感謝を受けこそすれ、悪(あ)しざまに言われるものではない。
ところが今日、最も自然環境を破壊するものの一つとしてやり玉に挙がっている。各国が分け合って適正量を使用すれば済む話なのだが、人間の露骨なエゴでそれができないでいる。石炭火力に環境悪化の責任を押し付けるのは筋が違う。
風力、太陽光などの再生可能エネルギー利用が強調されるが、過度な再エネ拡大は地域の自然・生活環境などにも影響を及ぼし、コスト増大にもつながってしまう。自然は良く管理されてこそ生きる。
宇宙のエネルギー源の核力(原子力)も自然の普遍的な力だ。核がなければ宇宙は存在しなかったし、太陽の核融合エネルギーによって太陽系の天体や生物は生かされている。
約20億年前の地球ではウラン鉱床が天然原子炉として作動していた。その痕跡は残っており、アフリカ中部ガボンの天然原子炉が有名だ。今日、原子力をうまく制御し人類社会に役立てる道具こそ人間が創り出した科学というものだ。
『昆虫記』の作者ファーブルは「美はいたるところにある。ただしそれを見出すことのできる眼があるということを、ことさらの条件としてである」(『虫と自然を愛するファーブルの言葉』興陽館)と。自然の活用も同様で、人間の眼力が必要だ。