「梅雨晴の二竿ほどの濯ぎ物」(翁長恭子)…


 「梅雨晴の二竿ほどの濯ぎ物」(翁長恭子)。梅雨の時期、洗濯物は外に出せないので基本的に部屋干しするしかない。大学生の時、部屋干しをして生乾きの衣服の匂いに悩まされたことを思い出す。今は、洗剤の品質のせいか、匂いがするということはあまりない。

 昨日は、東京は久しぶりの晴れ間を迎えた。俳句の季語では「五月晴」というようだ。「五月」とあるので5月の快晴のことかと思っていたら、どうも違うらしい。稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』によれば「陽暦の五月の快晴を五月晴といっているのは本来の意味からは誤用」とある。

 「五月晴」とは「五月雨」の対になる季語で、それぞれ梅雨の時期限定の晴れ間と雨のことだ。といっても、なかなか意味を実感できない面もある。時間経過とともに誤用がそのまま通用することもあるからだ。

 言葉の意味を正確に知るには、辞書を引いて確認する必要があるだろう。気流子は文章を書くという仕事柄、割合辞書を引くことが多いのだが、それでもうっかりミスを見過ごしてしまうことがある。

 パソコンのワープロ機能の文字変換で済ましてしまうからだ。便利な機能に頼ってしまって、紙の辞書を引くのがおっくうになってしまう。手書きをあまりしないので簡単な漢字でも書けなくなった。

 ステイホームで運動不足になって注意がおろそかになる。うっかりミスも多くなる。基本的なことを忘れないようにしたい。