「梅雨深し昨日と同じ過し方」(今橋真理子)…
「梅雨深し昨日と同じ過し方」(今橋真理子)。俳句の季語には、梅雨の時期にちなんだものが幾つかある。「入梅」はもちろん、「五月雨」「空梅雨(からつゆ)」「梅雨曇(つゆぐもり)」「梅雨寒」「梅雨空」などだが、それほど多いとは言えない。
季語は生活や風俗のほか、四季折々の動植物や天候などによって季節を表している。長雨の続く梅雨に関する季語が少ないのは不思議。この時期、雨のために家で過ごすことが多く、外に出歩かないことが原因だろうか。
季語自体は万葉集や古今集あたりから取り上げられ、俳句が主流となった江戸時代に隆盛となった。人間関係が密な江戸時代には、俳句はその交流の一つの手段でもあった。会合で歌や句を詠み合い、それを社交のたしなみとした伝統がある。
日本には万葉集に見られるように、貴賤(きせん)に関係なく歌の前に平等であるという精神文化があり、俳句においてもそれは守られた。武士であろうが商人であろうが、俳句を通じて平等な交流をしたのである。
テレワークが求められる現在、家で仕事をすることが少なくない。ズームなどを使って画面を通しての会議も多くなった。対面とは違い、どうしても距離感が取りにくくなり、パワハラやモラハラならぬリモハラ(リモートハラスメント)も話題になっている。
新型コロナウイルス禍で人間関係が難しくなり、特に梅雨の時期は気分も滅入りがち。気分転換に俳句や川柳などを一句ひねってみてはどうだろうか。