フキの煮物が食卓に出て、かつて住んでいた…
フキの煮物が食卓に出て、かつて住んでいたアパートの裏手に繁殖していたフキの群生を思い出した。スーパーなどできれいに切りそろえられたものしか見ていないと、自然の中のフキは野菜には見えない。
野菜は漢字からも分かるように、もともとは野生の植物のことで、それを品種改良して食べやすいものにしたのである。フキも食品として出回っているのは栽培種で、苦みが少しばかり抑えられている。
春を告げるフキノトウはフキの花茎(花穂)のことを指していて、苦みに何とも言えない味わいがある。フキみそはその代表的なもの。苦みが苦手な子供が、その味わいを知るのは時間がかかる。さまざまな体験を経て知る、いわゆる大人の味と言っていいかもしれない。
苦い野菜の代表にゴーヤなどがあるが、こうした植物さえも食用としてきた先人の知恵には頭が下がる。昔の人は季節ごとに旬の野菜を味わい、季節の変わり目などを楽しんだのだろう。俳句の歳時記には、その名残が季語としてある。
現代人は、食事を手軽な加工食品で済ませてしまうことが多い。自然の栄養を蓄えた野菜を摂取することが重要であることを改めて知るべきだろう。
人間も自然の中で生きていることを考えれば、野菜は母なる大地の恵みである。とはいえ、栽培技術が発達している現代では、旬の季節に関係なく食卓に野菜が出る。便利なようでいて、いささか寂しさも感じられる。