「女優」という言葉がメディアで徐々に用い…
「女優」という言葉がメディアで徐々に用いられなくなってきている。代わりに「俳優」という。「俳優の××さんが聖火ランナーとして走った」というふうに使われる。女優禁止令が出た話は聞かないので、自主規制したのだろう。
勝新太郎を「男優」とは言わない。普通に俳優という。女性の場合、これまでは女優と呼ばれてきた。
作家も同じ流れになったようだ。ちょっと昔は「女性作家」と言った。もっと昔は「女流作家」。だいぶ昔は「閨秀(けいしゅう)作家」だった。「閨」とは「女性の部屋」のこと。転じて、女性そのものを意味した。「学芸に優れた女性」ということで、差別的な意味はなかった。
40年ばかり前、文学者が集まって酒宴を開いたことがあった。その時、女性の作家が参加していないのを知った作家(男性)が「女流作家は来てないのか!? 芸者代わりぐらいは勤まっただろうに」と言った。
女性はその場には一人もいない。だが、当時はそういう言葉がなかったとはいえ、今で言えば「セクハラ」には違いない。すさまじい発言に、その時代といえども唖然(あぜん)とした記憶がある。
作家も俳優と同じで「男流作家」とは言わない。女性に限って「女流(女性)作家」という。文壇では一般に女性の書き手が少なかったので「女性は少数派」という意識があったのだろう。最近は文学者を男女で区別することは少なくなった。社会全般で、こうした流れが強まっているようだ。