見ごろになった都内の桜。名所での花見客の…


 見ごろになった都内の桜。名所での花見客の人数が増えているというニュースを見た。新型コロナウイルス禍のリバウンドが心配されているが、そんなニュースもどこ吹く風という状況のようだ。

 花見に行きたい気持ちは、日本人ならば誰もが持っているだろう。だが花見で密になれば、新型コロナの感染拡大につながることも確か。一時代を画した劇画『子連れ狼』の父を待つ大五郎ではないが、ここはじっと我慢の子になるのも必要だ。

 鎌倉時代から南北朝時代に生きた兼好法師の『徒然草』第137段には「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」という花見についての興味深い言及がある。

 兼好法師は花見にしても満開の時だけがふさわしいわけではなく、花の咲き始め、散り際などもよしとし、その上、花見に行かなくても室内で思い浮かべるだけでも興趣が尽きないと述べている。

 まさに、現代のステイホームでの花見といった感じがする。それに対して、花見で酒宴をして枝を折り取って騒ぐのは教養のない田舎者であると指摘する。それにしても、鎌倉時代から花見というのが宴会だったのは面白い。

 新型コロナが重症化しやすい高齢者の気流子は、花見には行けない。その代わりに、兼好法師に倣って動画や写真でバーチャルの花見をしている。特に、スマートフォンで撮影した咲き始めの頃の桜を待ち受け画面にしている。その写真で花見としゃれ込むのも悪くはない。