源実朝の歌。「いとほしや見るに涙もとどまら…


 源実朝の歌。「いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母を尋ぬる」(『金槐和歌集』608番)。歌集が実朝自身の手で編集されたのが21歳当時。1213年だから、800年以上昔の話だ。

 歌の前に詞書(ことばがき)があって「道のところで幼い子供が母を尋ねて激しく泣いていた。付近の人に事情を聞いてみると、父母が亡くなった、とのことだった」と実朝は記す。

 実際の光景を詠んだ歌と取れる。亡くなったのは両親だったが、それを承知の上で「母を尋ぬる」としている。その方が歌にふさわしいと実朝は考えたのだろう。鎌倉将軍だから護衛は付いていたはずだが、将軍が庶民と言葉を交わしている。護衛の役人を介したかもしれないが、そこはどうでもいい。

 両親が同時に亡くなったとすれば、感染症だろうか。事件や天変地異ではなさそうだ。実朝が子供をどう扱ったのかは不明だ。何もしなかったかもしれない。子供がどうなったかも分からない。男の子か女の子かも分からないし、兄弟の有無も不明だ。

 それでも800年前に鎌倉付近で、若い将軍が親を亡くした子供の姿を捉えた。実朝自身も7歳の時に父頼朝を亡くした。兄頼家が殺害されたのは実朝が12歳の時。幸い生母政子は健在だが、将軍の周囲は死屍(しし)累々の感がある。

 「実朝の孤独」と言ったのは小林秀雄だが、孤独はこの将軍歌人に付いて回った。そういう実朝を思うと、泣いていた子供と歌の作者が不思議に交錯する。