かつて東京郊外にある大岳山に、『神仙の…


 かつて東京郊外にある大岳山に、『神仙の寵児』(全8巻、山雅房)の著者、笹目恒雄(1902~97)を訪ねたことがあった。大岳山荘の隣の「素賓庵」に住み、その下には多摩道院が完成間近だった。

 生涯の活躍舞台はモンゴルだった。25年、ホロンバイルから現地の少年たちを留学生として日本に招き、「戴天義塾」という施設をつくって学校に通わせ、人材育成に努めた。8年間で36人が育っていった。

 『神仙の寵児』は自伝で、その中に33年、モンゴル民族の指導者、徳王を立てて蒙疆自治政府を設立した話題も登場する。笹目は徳王の私設顧問となり、ラマ教博士の称号も与えられた。

 徳王はモンゴル人の間で知らない人はなく、静岡大学教授、楊海英さんの新刊『内モンゴル紛争』(ちくま新書)にも指導者として登場する。『徳王自伝』(ドムチョクドンロプ著、岩波書店)という著書もある。

 著者名はモンゴル名だ。この自伝を読んで、徳王の生涯の悲劇性に胸を打たれるとともに、一方で、このように歪(ゆが)められた自伝があるものかという感慨に襲われた。特に、蒙疆自治政府に関することだ。

 笹目が描いた徳王は、親愛の情を限りなく注いでくれた王者だったが、徳王の自伝に笹目はスパイとして登場する。徳王は戦後、外モンゴルに逃れた。しかし、政治犯として逮捕され、北京で獄中生活を送る。その間、共産主義思想を強制されたようだ。自伝はそれを暗示する。