正月に吉田満著「戦艦大和の最期」…
正月に吉田満著「戦艦大和の最期」(角川文庫『戦艦大和』所収)を読んだ。何度も読んだのでストーリーは分かっている。が、今回もいろいろ感じるところがあった。
1952年に発表されたこの傑作を、45年9月に復員した直後、半日で一気に書いたと著者は言う。乗り組んだ大和の沈没が4月だから、重過ぎる体験から半年もたっていない。当時著者は22歳。
戦闘の最中は、時間も空間も止まっているように見えたともある。その厳しさ、酷烈さは、戦争を経験したことのない者にとっても強く心に刻み込まれる。
半面、今回思ったのは、呉軍港を出発する前に乗艦してきた候補生二十数名が急遽(きゅうきょ)大和を退艦する場面だ。候補生らの顔に「安堵の表情」が浮かんだことを著者は見逃さない。
候補生の退艦は、作戦の結末を予想した首脳部による特段の処置と言われる。勤務困難の患者十数名が同時に退艦したのを考えると「足手まとい」を避けたのだろう。大和を中心とする第2艦隊が、生還の可能性が極めて低い状況の中出撃することは、関係者の誰もが分かっていた。
艦隊の戦死者3700名、著者を含めて救助された者1700名。生還者が多かったのは、艦隊司令長官伊藤整一中将が早めに作戦を中止させたためと言われる。川崎展宏(てんこう)の句に<「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク>というのがある。「ヨモツヒラサカ」は神話上の「根の国」。小暗い場所と言われる。