緊張下の正月を迎えた。新型コロナウイルス…


 緊張下の正月を迎えた。新型コロナウイルスの流行を1年前に予想した人は少ないはずだ。「一寸先は闇」とか「全く、どんな事でも起り得る」(中島敦「山月記」)といったよろしくない出来事への備えを求める言葉を知る人は多いだろうが、誰もが肝に銘じて生きてきたわけではない。

 だから今回、人類は不意打ちを食ってしまったのだが、不意打ちであれ何であれ、生きるのをやめるわけにはいかない。これまでの人類史でも、感染症との闘いを体験しながらも、どうにか生き残ってきた。

 人類全体の力量が今、試されている。「コロナ禍はひどかった」と過去形で振り返ることができるような年であってほしい。心からそう思う。

 コロナ禍が過去になった日々をわれわれは希望するしかないのだが、希望は必ずしも心の問題だけではない。ワクチンの開発、接種が進んでいるのは、希望の具体的な成果だ。問題点もあるに違いないだろうが、ワクチンに期待する人々は多いはずだ。

 東京五輪・パラリンピックを、ぜひとも迎えたい。細目の変更はやむを得ないとしても、実現を願いたい。「コロナ以前」と全く同じ生活というわけにはなかなかいかないだろうが、自由な移動や会食などを含む普通の日常を送りたい。

 1年近いコロナ疲労が貯(た)まっているのも当然だ。それでも、コロナ禍という状況が続く中、一人一人が生き残る工夫を実践することが求められている、と心を新たにする。