今月25日は三島由紀夫の没後50年に当たる…
今月25日は三島由紀夫の没後50年に当たる。1970年11月25日正午すぎ、三島は東京の陸上自衛隊市ケ谷駐屯地で衝撃的な死を遂げた。享年45。文学者の自殺事件としては、事件として大掛かりだったことも含めて、芥川龍之介(27年)や太宰治(48年)のそれを超えて、日本近代文学史上最大のものだ。
「人生50年」とも「人間50年」とも言われる。半世紀という時間は、人生全部を包み込むほどの長さだ。
50年前の45歳は、令和の今の60歳ぐらいに相当するだろう。三島が生きた45年と、死後50年を比べてみると、三島の生涯の全てを超えた時間が流れてしまったことが分かる。そのことも衝撃だ。
当時45歳で亡くなった人間の老年を想像することは困難だ。「80歳の三島」のイメージがどうにも浮かばない。「45歳の死」という事実は決定的に重い。
三島事件とは何だったのかという問いは、今後も問われ続けるに違いない。それはそれで必要なことなのだが、事件抜きで文学者としての三島と向かい合うことも必要だ。
三島の作品は、味読する価値が十分にある。これまでにいろいろの論が書かれたが、「まだ読まれていない」とさえ言える。最高傑作の『金閣寺』(56年)、SF的な『美しい星』(62年)、晩年の大長編『豊饒の海』(70年完結)をはじめとする膨大な作品群は、今でも新鮮な印象を与える。稀有(けう)なことだが、作者の三島そのものが文学者として全く古びていないのだ。