江戸幕府の運営は、家康の時代は別として…
江戸幕府の運営は、家康の時代は別としてほぼ老中が担った。老中は将軍に報告する義務があるが、山本博文著『江戸城の宮廷政治』(読売新聞社)によると、そこには微妙なものがあった。4人前後いる老中たちは、将軍への取り次ぎに当たって、AをAとしてそのまま伝えるのでなく、微妙に変形して報告する。
完全なコミュニケーションなどというものはない。伝達者と受け手の間には、常にズレがある。仮に老中が可能な限り正確に将軍に伝えたとしても、将軍も人間だから受け止め方は様々だ。
そんなことは老中は百も承知だから、「コミュニケーション不全」をあらかじめ計算した上で、あえてバイアスをかけて報告することもしばしばだったはず。
元大本営参謀の書いた本の中に、司令官に進言する時の体験を記した個所があった。五つの選択肢がある。1案が最穏健策、5案が最強硬策だとして、参謀が強硬策を望めば、1案2案を除いて進言する。司令官は3案と5案の間の4案を選ぶことが多い。参謀が司令官を誘導する結果となる。
司令官も参謀の経験者であり、部下の参謀のクセを知っている場合もあるから、常に参謀の思い通りに運ぶわけではない。それでも参謀が司令官に一定の影響力を持つことは、日本の歴史が示す通りだ。
あらゆる場面で日々何気なく行われているコミュニケーションにも、よく考えてみれば、存外スリリングな側面があるようだ。