毎年夏、イタリアのペーザロ市で開催される…


 毎年夏、イタリアのペーザロ市で開催されるロッシーニ・オペラ・フェスティバルは、3月から4月にかけて同市が新型コロナウイルス禍で都市封鎖されたものの、今年は規模を縮小して実施された。

 幾つかの演目は来年に延期となった。先日刊行された『ロッシニアーナ(日本ロッシーニ協会紀要)』第40号の伝えるニュースだ。ロッシーニ(1792~1868)は高名な音楽家だが、演奏されてきたのはごく一部の作品。

 20世紀末になって知られざる作品が次々と上演されるようになった。ロッシーニ・ルネサンスと呼ばれる出来事で、日本でも再評価と研究が盛んだ。ロッシーニは歌手たちの装飾技巧を駆使した歌唱力でドラマを表現した。

 だがその後、物語中心の作劇に転換し、ワーグナーは「ロッシーニをもってオペラは死んだ」と宣言。同誌に掲載された《「ロッシーニ邸での夕べ」に見る19世紀のベルカント》(中山千夏子訳)は、ロッシーニの談話を伝えて興味を引く。

 筆者はエドモン・ミショットという音楽を学ぶベルギー人で、夕食後ロッシーニは歌の練習法について語る。その伝統は「ただ実地で捉えられる動くお手本だけが、彼らに教えを与え、彼らに技を伝えることができるのです」。

 偉大な伝統を託された者が、同じ器の弟子を残さなければ、技法は消え、死んでしまう。中山さんの解説によれば、今の歌手たちは「動くお手本」なしにそれを復元する課題に直面している。