「夏蝶の影や大地は水のごとし」(河内静魚)…
「夏蝶の影や大地は水のごとし」(河内静魚)。夏の虫としてはセミが代表的だが、そのほか蝶(ちょう)を挙げてもいい。その蝶は東京ではほとんど見掛けない。時々、空き地に咲いた野花にたわむれるように飛ぶのを見た時は嬉(うれ)しい出合いだ。
俳句の歳時記では、蝶だけでは春の季語となる。かつては、蝶はどこでも見られた。だから、東京でモンシロチョウなどを見掛けても、あまり感動しない。ただ、クロアゲハ、カラスアゲハ、アオスジアゲハを見た時は、つい目で追ってしまうほど魅力的である。
特に、妖精のような不思議な色彩を持つアオスジアゲハは、その優雅な飛翔で、憧れを抱かされた。アオスジアゲハの幼虫が好んで食べるのがクスノキの葉。クスノキは神社などに植えられていたから、それもまたこの蝶を神秘的なイメージにしている。
中国の古代思想家・荘子に、自分が夢で蝶となる説話「胡蝶の夢」がある。日本では霊や魂の象徴で、キリスト教では復活の象徴とされている。
気流子が昆虫を好きになったのは、ファーブルの『昆虫記』を読んだから。ハチやクモなどの生態が、それこそ舐(な)めるような観察で記され興味をかき立てられた。
都会ではなかなか昆虫との触れ合いがない。今では、地方でも里山が少なくなったので難しいかも。新型コロナウイルスの影響による夏休みの短縮や外出自粛で、昆虫採集のために地方に出掛けることが難しいのは残念である。