鏡開きが終わり、切った鏡餅をほおばったり


 鏡開きが終わり、切った鏡餅をほおばったり、ぜんざいに入れて食べたりした時、「ふつうの切り餅より甘い。なぜだろう」と考える人もいよう。その人は旺盛な探究心の持ち主だ。

 鏡餅の厚みをつくるには、米粒の散らばりが欠かせず、それが土壁に混ざる藁(わら)のような役割をする。答えは「蒸し米の粒が残っており、その甘みのせい」。つき方に工夫が要り、その加減の妙である。

 古来、わが国には稲作信仰があり、米類は正月などの縁起物の食材となってきた。その中で、餅はつき方や種類の異なる米の混合率の違いで、多くの種類が生まれた。ヨモギを混ぜてつけば草餅が出来上がる。

 米という一つの食材が餅に変化することで、さまざまな味を楽しむことができ、鏡餅のような飾りものにもなった。それでも餅であることに変わりはない。

 現代科学で、日本の得意分野に「物性物理学」がある。伊達宗行著『新しい物性物理』(講談社)によると「身の回りにある数百万種の物質を統一的に理解する」学問で、日本のメーカーが製造に力を入れる超伝導電磁石はその成果の一つ。

 細分化を極め、物性の本質を見失いかねない欧米の科学に対し、その追求の仕方の違いは「東西の物質観の差に依存している」(同『極限の科学』)。もちろん最先端の科学技術と餅の文化が直接結びつくわけではない。しかし、両者が共通の感性によって生まれたのであれば面白い。