「蝉を待つ樹々の深みとなりしかな」(永井…
「蝉を待つ樹々の深みとなりしかな」(永井東門居)。関東甲信地方の梅雨明けはまだだが、それを待ち切れないかのように、近所の公園でミンミンゼミの鳴き声がした。
セミの声を聞くと、夏になったという実感がする。その後、次第に各種のセミの声が聞かれるようになった。新型コロナウイルス禍もあって、外出はあまりしないのでセミの声が懐かしい。
田舎に住んでいた頃には、初夏になるとアブラゼミやニイニイゼミなどの声がうるさいほどだったが、東京に住むようになってからは、ミンミンゼミの声が夏の到来を告げる代表だった。
海や山に旅行する人が増える季節。さすがに今年ばかりは自粛ムードもあるせいか、それほど盛り上がらないようだ。といっても、電車などに乗ると家族連れが目立つことは確かだ。
知人の話では、地方の実家から帰って来なくていいとの連絡が来るという。東京が新型コロナの感染源と思われている面があるからだろう。世間体を気にしてのようだが、中には法事でも帰郷を断られるケースも。感染拡大の恐れが背景にあると言っていい。
唐の詩人、劉希夷に「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」という詩句がある。自然はそれほど変わらないのに、人の世が変わってくるという意味だが、確かに同じセミの声を聞いても、今年は違って聞こえてくる。コロナ禍の終息を願うばかりだが、道はまだ遠いというのが実感である。