「長嶋や王はいつも太陽の下に咲くヒマワリ…
「長嶋や王はいつも太陽の下に咲くヒマワリ。僕は人の見ていない所にひっそりと咲く月見草みたいなもの」。訃報が伝えられた野村克也さんが、1975年に通算600号本塁打を打った時に語った有名な言葉だ。僻(ひが)みっぽくも聞こえるが、マスコミに大きく取り上げてもらおうと考えた上での発言だった。
試合後に多くのプロ野球ファンが楽しみにした「ボヤキ」の原型があるように思われる。率直な本音と冷徹な分析を分かりやすい言葉や比喩で表現する。しかも、その言葉の影響を十分計算している。
野村さんは戦後初の三冠王や8年連続の本塁打王など選手としての記録もすごいが、監督になってさらに輝いた。ヤクルトを3回日本一に導き、古田敦也さんらの選手を育てた。
日本のプロ野球に残した功績は、王貞治さんや長嶋茂雄さんに劣らない。2009年、監督通算1500勝を達成した時は「晩年になって運が向いてきたかな」との言葉も残している。
「野球とは、知的な競技」が持論だった。解説者時代、テレビの野球中継でストライクゾーンを九つに分割して投手の配球を予測。それがことごとく的中した。野球の奥深さを知ったファンも多いに違いない。
一方、妻の沙知代さんを亡くした時の涙など、情の深い人だったことが分かる。知的に理解させるだけでは人はついてこない。知と情、そしてユーモアも備えたノムさんのボヤキが聞けなくなるのはさみしい。